イコーカ山古墳 : 訪問日29Dec'10

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この古墳は、福山市赤坂町にある。

山陽本線の備後赤坂駅を下車し、線路沿いに、福山方面(東方向)へ約100m程行くと、いかにも古墳と言ったふうの
小山がある。

その小山。












その小山を、線路沿いの道から見上げたところ。



















東方向に回り込んで、見たところ。



















北東から古墳の頂きに向かう道がある。























小さな社があった。


















その社と、古墳。
古墳の手前には、古墳の説明板が設置されている。

















その説明板。

墳丘の周りには、
円筒埴輪を2重にめぐらせてあったらしい。

でも、この古墳の名前は、なぜ、
イコーカなのだろう。

名前の由来の
説明は無い。

イコーカは、
可行乎と書くらしい。












説明板には、南西に続く丘陵には、4基で構成される池下山古墳群が存在していたとある。

南西には丘陵は無いが、南東には、このような小山が。

後で福山の古墳の地図を見たら、南東のこの小山の事だと思う。

行ってみたが、今は墓場になっており、古墳群の跡らしきものは、見つけられなかった。










上記の説明板にあった宝篋印塔。
墳丘の西側にある。






















その宝篋印塔(ホウキョウイントウ)の
説明板。

宝篋印塔の意味は、Goo辞書によると、
以下。

宝篋印経にある陀羅尼を書いて納めた塔。日本ではふつう石塔婆の形式の名称とし、方形の石を、下から基壇・基礎・塔身・笠・相輪と積み上げ、笠の四隅に飾りの突起があるものをいう。のちには供養塔・墓碑塔として建てられた。

ここの宝篋印塔は、足利義明の供養塔
と言う説もあるらしい。











墳丘の上から見た備後赤坂駅。


















更に墳丘の南側には、お地蔵様が祀られている。
石鎚神社と石碑がある。
















 
裏から見たところ。

















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